2013年09月14日

「旅のラゴス」〜“知の旅人”筒井康隆のピュアな決意表明?

マカオの教会


何十年ぶりかで筒井康隆を読んだ。「旅のラゴス」(新潮文庫)という200ページほどの中編小説である。以前ネットをみていてAmazonかどこかの書評で“面白い、感動”のようなことが書かれていたのを鵜呑みにして手にとった。昔々ボクは筒井康隆に嵌まったことがあって、そのときは短期間に20冊以上の文庫本を一気に読んだのだが、なんかその書評を偶然見つけて無性に筒井作品が読みたくなったのだ。

筒井康隆の近年作品をまったく読んでいないボクにとって、筒井といえば「家族八景」や「七瀬ふたたび」であり、スラップスティックでブラックなSF短編作品のイメージが強い。しかし「旅のラゴス」はそんな旧来の筒井ワールドのイメージをほとんど感じさせないような、わりとピュアなSF冒険小説といった感じだった。(「旅のラゴス」は連作長編のスタイルなので、新聞かSF雑誌で連載されていたのかもしれない) もともと筒井作品はノリがよくとても読みやすい印象があったが、本作もひっかかる箇所がほとんどなく読めた。正直に言えば、そのピュアなイメージとひっかかりのなさによって、ボクが期待していた筒井作品の“アク”のようなものが感じられなかったので少々残念だったが、やはり時代が変わって作風も進化したということだろうか・・・ちょっと寂しくも感じた点である。

そもそもボクが筒井作品に期待するものとは、人間の“いやらしさ”のようなものかもしれない。いまはもうすっかり内容も憶えていないが、「家族八景」や「七瀬ふたたび」のようなわりとピュアなジュブナイルSFのような作品にすら“いやらしさ”というか“毒”のようなものが含まれていて、読んでいて神経を逆撫でするような場面もあったように思われる。 ではそんな“毒”の抜けた(?)「旅のラゴス」はつまらなかったのか、といえばそんなことはなく最後まで面白く読むことができた。とくにラストの終わらせ方はわりとボク好みで、ということはわりと切なくて、いい感じで読み終えることができたと思う。

「旅のラゴス」はどこかの星の物語である。その星は、地球でいえば科学の未発達な中世頃の暮らしぶりであるが、その祖先はどこかの星からやってきた人類であった(たぶん地球か?)。腐食もせずにいまも残っている宇宙船の残骸と、彼らが残した多数の書物(とそれを収めたドーム施設)がそれを物語っているのだが、何も基盤のない星に高度な文明を維持することは難しく、結局彼らの子孫は(文明的に)退化せざるを得なかったと考えられている。しかし科学技術や他の叡智の衰退の代償として、ちょっとしたESP能力を獲得するものも進化の過程(?)であらわれる。集団での空間転移(テレポテーション)や精神感応にはじまり、空間浮遊や壁抜け、記憶媒体人間のような見世物小屋的能力まで、その星はそんな特殊能力が日常社会に自然に溶け込んだ世界を築いている。

主人公ラゴスはその星の北半球にある先進国から旅立ち、南にある祖先の遺跡(宇宙船の残骸と書物庫)を目指す。途中さまざまな事件やエピソードを経ながらようやく辿り着いたラゴスは、その地で幾年にもわたって書物を読み漁り、貪欲に先祖の知識・教養を吸収する。一部の知識からその地にコーヒー豆の栽培を促すことに成功した彼は、いつのまにか王国の王にまつりあげられるが、やがてこれまで蓄えた知識をたずさえて故国へと旅立つのであった・・・。

「旅のラゴス」は、主人公ラゴスの旅立ち(20代中ごろ?)から最晩年にいたるまでのクロニクルのような物語ともなっているが、タイトルからも明らかなように、作者の書きたかったのは、“ラゴスの人生=旅”ではなく“旅”そのものだったのかもしれない。もっと言えば、“旅=移動”することがいかに重要であるかということ。人間は農耕民として定住することによって安定した生活を獲得し、文明を発展させてきたが、定住すること自体は沈滞を生むだけであり、移動する旅人=情報の伝播者のような存在が不可欠であることを筒井は説きたかったのであろう・・・か?

そういえば、「旅のラゴス」が書かれたのは1986年(初出)だったことを読後に知って少し意外に思った。前段で書いたように、この小説はボクの知っていた作者の“毒”が感じられなかったので、てっきり筒井康隆のもっと晩年の作品だと思ったのだ。しかも(ラゴスの)人生を“旅”に重ねるなんて、老境に入った作家のすることのように思い込んでしまったので、なんとなくだまされた感じを抱いた。ボクが知っていたころの筒井康隆とは異なり、彼はラゴスのような旺盛な知識欲によって筒井は成長を続け、SF、冒険小説、ミステリ、純文学などその芸の幅をあらゆるジャンルに広げていったようである。
そのような意味からすると、「旅のラゴス」は筒井自身のそのときの決意表明であったのかもしれない。その決意とは、SFやスラップスティックという作風に縛られない、一生をかけて自身の興味と欲望の赴くままに自由にさすらい、書き続けること。“知の旅人”のような存在になろうとした決意である。

posted by なすぱぱ at 08:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本・小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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