2020年06月20日

「モツレク」映像編〜「最後の審判」絵巻、ではなく音巻。

ココ

新型コロナの猛威は生活に直結しない文化、余暇活動方面にとくに大打撃を与え、いま世界から音楽コンサートやスポーツイベントはすべて消滅してしまっている。前に書いたように、ボクも楽しみにしていたクルレンツィスの「第九」公演も4月に休止となったが、いつになったら収束するかも分からないこの状況では、再来日とか期待しても虚しいだけである。しかし、捨てる神あれば拾う神ありの諺どおり(?)、先日NHKプレミアムシアターで、2017年にクルレンツィスがザルツブルク音楽祭で公演した映像が再放送ざれた。演目はボクもとても観てみたいと思っていた、モーツァルトの「レクイエム」。もちろんその「モツレク」は録画して、先日観ることができた。今日はそのことをすこし書こうと思う。

以前「モツレク」のことを話題にして、ベーム盤とクルレンツィス盤を買って聴き比べし、ボクは断然クルレンツィスの演奏が好みであると書いた。その後も「モツレク」はたびたび聴いているが、聴けば聴くほどにボクはカール・ベーム指揮の厳かでゆったりとした「レクイエム」よりも、陰影が濃く透明性が高いクルレンツィスの「レクイエム」が好きになってゆく。クルレンツィスの音楽には麻薬が仕込まれている、といった類の揶揄、冗談をネットでたまに見かけるが、薬に弱いボクには効果絶大のようだ。

ふくまろ

今回観た公演の出演者等を以下に記す。
・場所 ザルツブルク/フェルゼンライトシューレ
・オケ ムジカエテルナ&同合唱団
・演目 モーツァルト「レクイエム」ニ短調K.626
・指揮 テオドール・クルレンツィス
・ソリスト ソプラノ/アンナ・プロハスカ
アルト/カタリーナ・マギエラ
テノール/マウロ・ペーター
バス/タレク・ナズミ

いつも聞いている「モツレク」は、CDからリッピングしたFLACデータをNASからネットワークプレーヤーにとばして、ROTELアンプからDALIメヌエットを鳴らして聴いている。初心者レベルのオーディオではあるが、それでもやはり録画HDDから安AVアンプ(TX-L50)、DALIセンソール1から流れてくる音よりは美しい。録画では音的にちょっと我慢が必要かなと思っていた。
しかしそんな懸念は観始めるとまったく気にならない。初回に観終わったときにはただため息が漏れるばかりだった、素晴らしい! 映像で「モツレク」を聴くと、音の良し悪しよりも演奏のダイナミズムというか、指揮者、奏者、歌い手の気迫、内なる心の叫びまで聴こえてくるようで、宗教音楽ということも相まって聴く者の心まで震えさせてしまう。「最後の審判」への畏れ、神への懇願、キリストへの祈りが、音楽を通じて絵巻物のように眼前に映像を結ぶようである。とにかくこの映像には、ひさびさに心が大きく動かされた。

映像が暗くて目の悪いボクにはよく分からなかったが、例によってこの公演でもバイオリン奏者などは立奏だった。昨年チャイコフスキーの「悲愴」を観に行ったときよりも、今回録画映像で観ると奏者の挙動がより鮮明に見えて面白い。奏者各人それぞれの動きで音楽を奏でる姿は、日ごろ見るオーケストラとは別もので、オーケストラ全体が(指揮者、歌い手も含めて)奇妙な生き物のように見えてしまう。その生き物から吐き出される音楽は、音の表情も豊かで神秘に満ちていた。

ココ

今回はじめてムジカエテルナ合唱団を観ることができた。各音域10名、計40名弱くらいだろうか。その合唱団の面々も、先の楽器奏者と同様に、一人ひとりが表情豊かに身体も動かしながら歌っていた。みんなでまとまって綺麗な合唱をつくろう、というよりも自身の考える歌い方を個々が模索している感じ。バラバラの個性が集まってひとつの美しい歌声になるのを映像で見ると、なんか不思議である。今回この映像を観て、ますます彼らの歌うベートーヴェンの「第九」を聴いてみたくなった。

というように、ムジカエテルナ合唱団はよかったが、4人のソリストたちも素晴らしい歌いっぷりであったと思う。とくにソプラノのアンナ・プロハスカは、その声質が人間離れして高貴に響いていた。彼女のことは上さんが以前に観た「イポリットとアリシー」というオペラにでていたことを憶えていたが、天界の声にふさわしい(天界の声じゃないけど)、穢れを感じさせない響きを聴くだけで、ボクのような汚れた凡人はすぐにも昇天してしまいそうである。

さて、今回の番組は個人的に大満足の内容だったのだが、なかでも一番よかったことは歌詞に日本語字幕が付いていたことだったりする。対訳本があったとしても、それを画面と照合しながら聴くなんていう芸当は、いまのボクには不可能事である。字幕付きで、意味内容をなんとなく理解しながら美しい音楽を聴ける・・・なんて幸せなことであろうか・・・字幕万歳。


posted by なすぱぱ at 08:17 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月13日

「棋聖戦観戦」〜「観る将」を熱くする17歳の大棋士。

ふくまろ

これまでまったく話題にしたことはなかったが、ボクはミーハーな将棋ファンで、自分では指さないいわゆる「観る将」というやつである。それほど熱心ではないものの、かなり昔からCSの「囲碁・将棋チャンネル」をよく見ていた。現在「囲碁・将棋チャンネル」はウチのTV環境のこともあって見れていないが、代わりに最近ではABEMAが「将棋チャンネル」を開設してくれているので、話題の対局などたまに見たりしている。

ボクのような将棋ミーハーにとって、最近の話題と言えば何といっても「藤井聡太」に尽きる。若干14歳でプロ棋士デビューを果たし、ヒフミン(加藤一二三)などの持つ最年少記録を片っ端から塗り替え続け、現在プロ4年目(?)で、過去3年間連続勝率8割以上という、これも記録を更新しているまさに怪物、天才少年である。大御所であった大山名人、中原名人を除いて、近年の将棋天才少年の系譜は、加藤一二三、谷川浩司、羽生善治、渡辺明という、いずれも中学生プロデビューの棋士たちだろうが、先日その一人、渡辺棋聖(三冠)と藤井君のタイトル戦がABEMAで中継され、その最終盤に興奮してしまったボクは、ついブログにも書こうと思った次第である。

しんのすけ

さて6月8日に行われた棋聖戦5番勝負の第一局は、これも最年少タイトル戦挑戦記録となっている。コロナ騒ぎの影響を受けながら、藤井君の最年少記録を強引に演出しようと、将棋連盟が組んだ強行スケジュールの感もあったが、彼は挑決準決勝、決勝を中一日で駆け上り、8日のタイトル戦にこぎつけた。佐藤天彦前名人、永瀬拓矢二冠をやすやすと退けての堂々たる勝ち上がりは、タイトル挑戦者として文句のつけようもない。そしてその勢いは棋聖戦でも止むことなく、渡辺三冠を破って初戦を制してしまった。スゴイ、スゴすぎる。

矢倉戦だった第一局は、早々に渡辺棋聖の角が成って、これは藤井君も苦しいかと思われたが、できた馬の動きを封じ込めた藤井君の差し回しは流石であった。対局は終盤までほぼ互角の展開が続いて息苦しいものだったが、90手を過ぎて飛車を切り捨てて以降の攻防はたいへん見ごたえがあった。ABEMAではAIによる形勢判断が画面に表示されるが、終盤(の入り口)は藤井君の優勢が素人目にも明らかになってきた・・・・と思っていたら最後の最後に渡辺棋聖の怒涛の攻めがはじまった。AIの形勢数値は変わらないので、はじめは渡辺棋聖の投了前の形づくりなのかとも思っていたが、厳しい王手が続く続く。盤面を見ていると、一手でも対応を誤れば即頓死となることが次第にわかってくる。渡辺三冠恐るべし、と手に汗握りながらの観戦は小一時間も続いただろうか。16回連続王手を見事に見切ってかわし続けた藤井君は、最後の王手を桂馬打ちで受けつつ、その桂馬で逆王手をかけるという華麗な一手で大一番を制した。見事としか言いようがない。

なぜこの対局がボクを興奮させたのかといえば、タイトル戦初登場で現役最強の渡辺三冠を打ち破ったことももちろんなのだが、渡辺明という棋士の凄みをあらためて実感できたからだ。ボクはこれまで渡辺明をそれほど好きではなく、三浦事件のこともあってあまり注視していなかった。これまでは、賞金額の大きな竜王戦だけに心血注ぎやがって、みたいなやっかみ半分で見ていた。しかしこの対局での渡辺棋聖の差し回し、立ち居振る舞いを見ていて、そんなことはどうでもよくなってしまった。善人過ぎる羽生善治に対抗するヒール(悪役)として、渡辺三冠には今後も憎まれ対局を続けてほしいと、そんな気持ちに変わってきたのである。いままさに棋聖戦と同時進行で名人戦を豊島将之と戦っているが(第一局は渡辺三冠がきわどく勝った)、ボクは個人的に渡辺明の名人奪取を期待したいと思う。

ココ

ところでボクにはミーハーな将棋ファンとして、いま実現してほしいことが3つある。ひとつはやっぱり藤井聡太の初タイトル(棋聖)獲得。まぁ藤井君については焦らずとも、そのうちタイトルのほうからすり寄ってくるだろうが、渡辺明が最強の現在、彼からタイトルを獲る意味は大きいと思うのだ。彼を苦手としなければ、あとは現豊島名人の借りを返すのみ。藤井君のレーティング1位はしばらくの間不動になるだろう。
2つめはこれもミーハー丸出しだが、羽生永世七冠のタイトル通算100期達成だ。先ほどは、善人過ぎる羽生などと書いてしまったが、「観る将」としてはこれは外すことのできない関心事であることに変わりない。
そして3つめ。それは西山朋佳女流の棋士デビューだ。現在奨励会会員の西山嬢は、前年度の三段リーグで実に惜しいところまでいっていた。過去に女流六冠でもあった里見香奈が三段リーグに挑戦していたが、彼女でも西山ほどの高成績を残すことはできなかった。里見は年齢制限によって挑戦をあきらめざるを得なかったが、西山朋佳にはまだ数年のチャンスが残っている。ここはぜひ史上初の女性プロ棋士になってほしいものである。将棋界の歴史が動く大事件だ。

いまや将棋も囲碁もチェスもコンピューターが人間を凌駕してしまう時代になってしまった。味気ない、つまらない時代である。そんなつまらなくなった時代だからこそ、人間同士の戦いはこれまで以上に意味をもつのかもしれない。藤井君は棋聖戦の2日後、王座戦2次予選で同期の大橋六段に負けてしまった。途中まではちょっと優勢だったようだが、藤井キラー(大橋はこれで藤井君に通算3勝2敗だ)に仕留められてしまった。藤井君でもそんなところで負けたりするのだなぁと、へんに感心してしまった。ここで負けたことは、いい意味で息抜きになったのではないかとボクは思う。天才藤井も人間藤井なのだから、すべてに勝つことではなく、要所を締める勝ち方が今後は大事になる。・・・なーんて周りが気にしなくても、本人がいちばん勝ち方を知っているのだから余計なお世話である。


posted by なすぱぱ at 08:55 | Comment(0) | 日記その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月30日

「AV環境改造計画」〜オペラをもっといい音で観たくなった。

ふくまろ

音楽を聴くことの多くなった我が家は、ビギナークラスのオーディオ機を組んで、何の不満もなく休日などにクラシック音楽なんかを聴いたりして楽しんでいる。いっぽう映像まわりについては、58インチREGZAを中心に、エントリークラスのAVアンプ(TX-L50)と、MENUET(DALIメヌエット)にメインSPの座をゆずったDALI-ZENSOR1をつなげて、オペラDVDなんかを鑑賞している。音楽オーディオについては、場所の問題もあってビギナーなボクごときではこれ以上のレベルに上げるつもりはないのだが、映像を見るとき、ちょっとその音響の物足りなさを感じることが最近多くなってきた。この頃は派手なアクション映画を観ることもほとんどなくなったので、映画館のようなサラウンド音響には興味もないのだが(そりゃあお金が潤沢にあるのならやってみたくもあるけれど…)、オペラを観るときのオケの演奏、そしてとくにソリストの歌声をもっといい音で聴いてみたいと、最近贅沢にも思うようになってきた。いますぐには無理だけど、今夏には実現したいと思っている。そんな我が家のささやかなテレビまわり改造計画について、いま考えていることを少し書いてみようと思う。

ふくまろ

『改造計画』なんて言ってもべつに大それたものではない。いま企んでいるのは、単にAVアンプとスピーカーを買い換えることだけである。

まずAVアンプについてだが、ボクは音楽を聴くだけならやはり普通の2chアンプで聴いたほうが良いと盲信している人なので、過剰に高価な機器は必要ないと思っている(もちろん貧乏なだけであるが)。そして前段で書いたように、マルチなサラウンド環境もそれほど魅力を感じていない。だったら普通のアンプに繋げよ、と言われそうだが、HDMI接続でテレビと電源・音量調節同期できるなどの機能は、リビングテレビの場合ボクにとってマスト条件である。
というわけでボクが買おうと思っているAVアンプは、マランツのNR-1200という機種である。マランツに言わせれば当機はAVアンプではなく、HDMI端子でつなぐアンプ付きネットワークレシーバーなのだろう。これと似た機器は、パイオニアだったかからも出ているが(ちゃんと調べていないので適当)、マランツの音は以前M-CR611で経験して信用しているので迷いはない。というか、HDMI接続の2.1chなんて、これと先の機種の二択しかないのだ。NR-1200は実売ベースで現在6万ちょい。いま使っているTX-L50は3万ちょっとだったので、それと比べれば大幅アップだが、AV機器としては安価な部類に入る。どのくらいの音質向上が見込めるのか、実際に買ってみないと結局は分からないが、ネットの評判も良いようなので楽しみである。

ふくまろ

もうひとつの買い換え候補はスピーカー。これはアンプと違って選択肢が広い。目移りしてしまう。で、ボクが買おうと決めたのは、ヤマハのNS-F500というトールボーイタイプであった。今回のスピーカー買い換えのポイントは、ズバリ低音の豊かさ。さすがにいま使っているZENSOR1のようなブックシェルフ型では限界があるので、当初から買うならトールボーイと決めていた。トールボーイは音の定位など、同価格のブックシェルフに劣る点もあると言われるが、メインオーディオはROTELアンプ&DALI-MENUETなので、所詮DVD等の映像鑑賞が主目的であればトールボーイで十分と考えた。迫力のあるトールボーイ・サウンドで、映像中心に楽しめればよい。ヤマハのNS-F500は、価格の割に(ペアで6万円ちょい)評価が高く、ヤマハのつくる音もいちど体験してみたいと考えてこれに決めていた。

『決めていた』と過去形なのはどういうことか? そう、いまはボクの中でスピーカーの候補が変わっているのだ。いまの購入候補はDALIのOPTICON6というトールボーイSP。価格はペアで最安で23万くらいになるので、ヤマハの4倍だ。うちのいまのメインスピーカーであるDALIのMENUETよりもはるかに高額である。なぜ?と言われても理由は自分でもはっきりとしない。ひとつ大きな理由としては、買い換えに際して上さんがすこし補助してくれることになったことである。この価格帯なら選択肢はかなり広くなるが、B&Wだともっと高額のモデルじゃないと満足できなそうだし、いろいろ悩んだがOPTICON6に決めた。そもそもボクはDALIの音を気に入っていること、マランツのアンプはたぶんDALIのスピーカーと相性が良いと思われること、またネットの評判もすこぶる良いこともあって心は動かない。いまは、はやく買い換えて、いままで観たオペラなんかを観なおしてみたいと欲望が渦巻いている。とても浅いとはいえ、オーディオの沼にボクも嵌ってしまっているのかもしれない。

購入までにはもうすこし時間があるので、最後にはまた機種を変更してしまうかもしれないし、結局買わずに終わってしまうかもしれない。みんなそうだと思うけど、何かを買ったりする前段階でいろいろ妄想することが楽しい。とくに男は計画してアレコレ考え悩むことを好む動物である。ことの顛末については、夏以降にもちろんブログで取り上げるつもりだ。どうなってるのか、自分でも楽しみである。



posted by なすぱぱ at 07:51 | Comment(0) | モノ・goods | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする